結婚2年目で長女が誕生しました。ただ妊娠した事に浮かれてて、この時は出産の修羅場を想像できない能天気な性格でした。何とかなるさと思って毎日を過ごすおめでたい性格だったように思います。
当時はネット環境もなく一人目は右も左も分からない連続だったから一応、本を読みあさって見たものの、良く理解が出来ず体の変化を楽しんでました。(⌒▽⌒)だから、順調に体重は右肩上がり。20キロ近く太りました。
それでも、一人目の妊娠の喜びはパパや義実家も含めもう週末はご馳走が続き、誰も体重を気にしない生活になり、パパも終いには出産直前で10キロ以上一緒に太る事となりました。パパは久々に合った友人から「太った?」と聞かれて、「嫁さんと一緒に俺も出産の体力づくり。」と返事していました。(笑)この体系は出産後に2人で後々ダイエットして元に戻っております。
(私のダイエットは又、別の記事で。)
10年以上前の記憶を掘り起こして記事にした為、今でも忘れない!!そんな出来事を下記に綴ってます。
妊娠後期
1、順調に栄養を蓄えてきました。もうしっかりと妊婦とわかるほどになった時、下半身全般が見えない。あるあるかもしれませんが、爪切り、靴下、靴を履くのが大変でした。爪切りは本当にマックス時には、お手伝いが必要です。
2、腕は回るけどお腹が大き過ぎるとひねるのが痛い。寝返りする時は一度めを覚ましてちょっと気合を入れからの「どっこらっしょ。」こんな毎日を送っていたら、昼間も眠い状態です。当時は9ヵ月まで体を動かすパートをしていた為、運動不足とはならず。だけど赤ちゃんは日に日に大きくなってる為か体重増加は止まらない。
3、むくみはひどく指で押したら戻るまでが時間がかかってさらには、おしゃれな靴は履けない状態。今まで来ていた服も、たんすの奥にサヨウナラです。

10年前までは、ヒールのある靴ばかり履いてたあの頃が懐かしいわ。今はペッタンコな靴しか履けなくなっちゃった。
妊娠7ヵ月
担当医からの呼び出し
7ヵ月ともなれば性別も分かり、赤ちゃんの内臓もはっきりしてきた矢先の出来事でした。「次の検診ではお父さんもご一緒に来てください。」と言われ、あまり重く受け止めづ二人で病院に行って、長女の異常を告げられます。
娘の余命宣告
7ヵ月半ば頃「赤ちゃんの心臓が右にあります。」よく分からない私は先生に「右にあるだけで問題はないんですよね・・・?」と聞いたら、「生まれてみないと分からないです。」それでもよく呑み込めずさらに質問して「それって10年生きられないって事ですか?」の返答は無言!!!
まさか7ヵ月でこんな事を言われるなんて・・・。この診断で、「内臓が全部逆の位置であれば問題がない可能性が十分ありますが、出産してからでないと何とも言えない。」
健康で産まれてくると思っていたのが、この時に保証されない内容を言われて、パパも隣でショックを受け、さすがの私もショック過ぎてその日の夜はお通夜のように軽く外食を済ませ、2人とも意気消沈の状態でした。
ただ、今振り返って思う事はこんなにショックを受けたにも関わらず、ご飯だけは欠かさず食べてるという行動です。(笑)ただ、いつまでもしょげずに直ぐ夫婦二人で、前向きにまだ決まった訳じゃないからと思い、心も体も栄養を蓄えて行きました。
後々ですが、娘の心臓が右の状態で確認取れる映像は珍しく、研修医も診察を診せてもらいたいと要請されました。断る理由もなく承諾したものの当日、研修医がぞろぞろと団体で来たのを見てビックリしました。
9ヵ月【夫が逃走】
両親学級の日に私の夫は逃走しました。(+_+)あまり乗り気ではない事は、当初から知ってはいたもののまさか逃げるとは。基本、夫は時間にシビアで5分前行動は当たり前の性格です。
私は、1週間前からご機嫌を伺いをし、多少ムカつく事があっても笑顔で対応。3日前と前日に、当日の日程を確認し銀行へ寄ってもらってからの病院の予定でした。
しかし、この日は違っていた。午前10時30分に出発するにも関わらず、出発時間5分前に茶封筒が欲しいと言われ、次にズボンを取り替えたいと言ってきて出発時間を過ぎてしまう。(この辺ですでにおかしな言動が・・・)
私もまだ余裕があり笑顔で対応。そして、車に乗り込んで銀行に行ってくれるものと思いきや、通り過ぎてしまい「銀行は?」と聞くと「忘れてた。」と返事されました。ここも(まあまあしょうがないしょうがない)思い、目的を果たせると信じ病院に着くと、いつもなら車から私のカバンを持って出てくれるのにそのまま鍵を閉めてしまう。「カバンは?」と聞くと、ここからが夫無言。
私なりに1週間ずーっと耐えていたもののが、噴火直前まで来たけど何とか抑え、病院の正面入り口に差し掛かった瞬間、近くの窓越しに夫の不機嫌な顔が写り、それを見て今まで溜めていたものが爆発してしまい「なんなんだその顔は!!!!」と怒りのスイッチがON

私もこの時ばかりは我慢が出来なくて。公共の場所は特に不機嫌を表に出さない見せないで欲しかったわ。
夫は私が診察中に姿が消えており1時間以上、連絡してもつかまりませんでした。もちろん両親学級の開始時刻に間に合うはずもなく諦める事に。
妊婦の大変さと出産の痛みだけは、逃げ出せない奥さんがいる事、それはまぎれもない事実ですよ。
その後は無事、仲直りしました。(笑)
最後の晩餐
予定日から1週間過ぎても産まれない為、次の日入院決定!!!
初産は予定日を過ぎるとあったけど、私の場合は産まれそうな兆しも全然なく遂に入院宣告となってしまいました。もう体重管理の出来なさに8~9ヵ月くらいの時に、1週間入院してます。夫婦揃って、食べる事が大好きなので、入院したら美味しいものが食べられなくなると思って初サイゼリヤに行って好きなだけ食べちゃいました。体力勝負と自分に都合のいい脳内変換をして爆食です。(*^▽^*)
さあ、これで明日入院してもいつでも大丈夫!!!
と思ったその日の夜に産気づきました。
両親学級を参加しなかった事と、結構その場しのぎで当日の陣痛を迎えてしまったためか、陣痛がどんなものかが良く分からず当初食べすぎたかな!?と思い込んでしまいました。この当時の私はとにかく鈍かったです!!(笑)
-最後まで読んでいただきありがとうございます。ー